つぶやき時々おやすみ

日々思ったことや見たもの聞いたものなどいろいろと書いていければと思います。

人と食事をするのが怖い、外食・会食恐怖症

年明け1回目のブログ更新になります。

今回はメンタルの話をしたいと思います。

 

実際に私が抱えている”恐怖症”についての話題になりますが、同じような病気で悩んでいる方にとって参考になるかはわかりません。

ただ読んで「少しでも同じ仲間がいる」「共感できる」と感じて頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

皆さんは食事をすることが好きですか。

外食をして美味しいものを食べるのは好きですか。

私は好きではありません。タイトルの「外食・会食恐怖症」も正確な名前については無く、インターネット上で調べたところ近い名前が”それ”でした。

 

この恐怖症を簡単に言うと

「人と食べるのが怖い」「外で食べるのが怖い」

というものです。

 

理解できない方が大多数だと思います。私もそう思います。

人の欲求である「食欲」を恐怖としているのですからね。

 

私が何故この病気になってしまったのかというと、学生時代に友人たちと食事をしていたのがきっかけでした。

 

その日はお腹いっぱいになるほど食べてはいないのに、

食事をしている最中噛み砕いたものがうまく喉を通らなかったのか、えずきました。

ぴたりと咀嚼する動きが止まり、口の中で食べ物が入ったまま飲みこむことも噛むことも出来ない。急いでトイレに行きすべて吐き出しました。

 

その後もう一度席に戻り友人に「心配ない」と言いましたが、いざ食事をしようとすると喉の奥から拒否をしているような、食べたら戻してしまうのではないかという感情が頭をよぎり、食事を続行することが出来ませんでした。

 

その時はただの一時的なものだと思っていたのです。ところが違いました。

別の日に家族で外食をしに出掛けた日。メニューを眺めていると途端に吐き気がしてとてもじゃないが、食事をする気にはなれませんでした。

食事をしない私を見て家族も不審な目を向けていました。

 

学校ではお弁当を持参していましたが、友人の視線を感じると食事が喉を通らなくなってしまい何度も残してしまいました。その度に母親に体調が悪いのかという余計な心配をさせてしまい、私自身もどうして”これ”が長期化しているのか分かりませんでした。

 

この不可解な病気が発症して4、5年ほど経った頃、高校生になった私は修学旅行の前日に恐怖で眠ることが出来ずにいました。

勿論修学旅行では友人たちと食事をするのは必須。今まで出来るだけ外で食事をすることを避けてきたのに、回避することが出来ない。

 

何度も何度も落ち着けと心の中で念じてみても緊張は収まらない、眠ることも出来ない。あまりにも重症化していると感じた私は安定剤を貰おうと病院に行きました。

 

ですが、メンタルクリニックは基本的に予約が必要。来て当日に診察をしてもらうことは中々できません。明日からの旅行を恐怖心を感じずに終える、ということはもはや私には”無理なこと”でした。

 

はじめに行ったメンタルクリニックでは受診はお断りされてしまいましたが、当日の診療も出来るという病院を紹介してもらい、私はそこを受診しました。

 

お話しをさせていただいた先生に「外で食事をすることが怖い」ということ

「人と一緒にいると食事が出来ない」ということ、全て伝えました。

先生は初め半信半疑なのかあまり信じていないような様子でした。

こんなに苦しいのに、もう何年もこれに苦しめられているのに、怒りの気持ちも頭によぎりましたが、仕方のないことだと。恐怖症なんて健全な人から見たら理解なんてされません。

 

お話しをしていく中で「あなたが落ち着くということであれば」と精神安定剤を処方していただきました。

帰り際受付の方からの「お大事にしてください」という言葉が頭から離れませんでした。

 

 

その日も授業があったので学校へ向かう電車に乗り、私は思いました。

「いつになったら、外で美味しく食事が出来るようになるんだろう」

こんなことを考えていて、悲しくなりました。

もしかしたらこのまま一生好きなものも食べられない、外で、皆と楽しんで食事をすることが出来なくなるかもしれない。ただ普通に食事がしたいのに。

 

 

修学旅行中は食事の度に安定剤を飲みました。

毎食、食事の前に飲んでいたので副作用の眠気が止まりません。移動中のバスの中でも眠ってばかりで、友人が次の目的地に着く前に起こしてくれるけれど眠くて仕方がない。移動中はずっと眠っていたように思います。

 

薬を飲むことで周りの友人たちと同じように”普通に”食事は出来ましたが、どこか心の中で引っかかったまま修学旅行は終わりました。

 

それから私は何度か病院に通い、その後の経過について先生に話をしました。

薬を飲まないで食事をしようとした時もありました。ですが、やはり恐怖と吐き気に耐えきれず安定剤を飲まないとまともに食事が出来ない。

 

それは私が社会人として就職する時まで続きました。

薬を飲めば食事をすることが出来る、皆と変わらない”人”でいられる。

安定剤は私にとってお守りのようなものでした。いつもポケットの中に忍ばせていました。

 

暫くそういった生活を続けていたところ、ふと「薬を飲まないで食事をしてみよう」と再び思うようになった時がありました。

会社で同期と食事をしているとき、食べやすい料理を食べてみる。少しずつ慣らして「今日は味噌汁まで飲めた」「お茶碗のご飯を半分食べられた」など心の中で記録をして。馬鹿なことかと思われるかもしれませんが、私にとってはとても重要な事でした。

 

 

あるとき、薬を飲まずに食堂の定食を完食することが出来る日がありました。

周りの同期は気にも留めず、食後の会話を楽しんでいる。そして私もそれに参加できている。

本当に嬉しかったです。みんなと”普通に”食事をすることが出来た。

それは、大きな成長でした。

 

それから徐々に慣らしを続けて、なんとか私は薬に頼らずに「外」で「人」と「食事をする」ことが出来るようになりました。

 

何年も何年も悩み続けて、家族にも理解されない病気を抑えることが出来たのです。

ですが、完全に治ったわけではありません。

 

取引先との食事や緊張する場面での会食では、”恐怖”と”吐き気”の症状は出てしまいます。その度にあの時の気持ちが頭の中に蘇ってしまう。

 

恐怖症というものは完全には治らないのだと思います。

また、何かをきっかけにして起こってしまうかもしれない、

そういう恐怖にも怯えないといけないのです。

 

ですが以前に比べると ある程度普通に食事も出来るようになり、好きなものを外でも食べられるようになったということはとても喜ばしいことでした。

 

 

今、私と同じような病気、恐怖症を持っている方、あるいは同じように恐怖症などで悩んでいる方はこのブログを読んでどのように感じましたでしょうか。

私にとってこの”恐怖”は一生ついて回るもので、逃れることは出来ないことだと感じています。

 

もし何かしらの恐怖症を持っている方は安定剤を飲むことで少しでも落ち着ける未来がある、ということを伝えたいです。病院に行っても理解されないのは嫌だ、ではなく、健康に、健全に生活をしていくためには必要なことだと私は思います。何も恥ずかしくなんかありません。

 

ただ生きていくために必要なこと。

少しでも不安に思っている気持ちが無くなるよう、この経験を通じて元気づけられれば良いなと心から思います。

 

 

あくまで一個人の経験として今回の記事を書かせていただきましたが、参考になるとも思えないので、ご意見ご感想等、思うことなどありましたらコメント欄に頂ければと思います。よろしくお願いいたします。