過食は自傷行為なのか、ストレス発散か。
最近復職をしました。
以前とは違う部署に異動させてもらい全く経験したことのない業務をしています。幸い上司は理詰めするような話の通じない人でもなく、分からないことは何度でも聞いてくれていいから、と言ってくれました。
普通に考えたらとてもいい場所に異動できたと思います。
ですが、ずっと私が劣等感を感じていることがあります。
「優秀じゃないとこの部署には来られないから」
あるとき別の上司が何気なく言った言葉。
自分は心を病んで休職して、自分で異動希望を出して今の部署に配属されました。
「優秀」という言葉。
自分が嘘をついて来てしまったようで、恥ずかしくなる。貴方が思っているほど私は優秀じゃない。
激励の意味も込めて言ってくれたのだろうと思いますが、それがずっと頭に残って、誰かと話す時も、ふと仕事している瞬間にも、
「身分不相応」「嘘つき」「情けない」と頭の中に浮かぶ言葉。
誰かに言われてもいないのに、実はみんな私のことをそう思っているのではないか。
良くなってきていた心がまた悪くなっている気がします。
月一のメンタルクリニックでは落ち着いて過ごせていると伝えていましたが、
休みの日は風呂に入る気力もなく、出前で食事を頼んで過食に走り、ネットをずっと見ていて、眠って、これをずっと繰り返す。
こうして文字に表すと不健康だなあ、と思いました。
特に過食については本当に酷くて、明らかに食べ過ぎているし、体重も10キロ以上増えました。味の濃いものやしょっぱいものが食べたくて、お腹いっぱい食べて暫く休んで、また食べる。逆流性食道炎になっても食べ続ける。やめられない。太ってしまうのも、自分が醜くなっていくのも分かっているのに、自分の意思で止められない。
食事が自傷行為になっているのか、ストレス発散になっているのか。
お腹が痛くなって吐いてしまうこともたまにあります。逆流性食道炎のせいなのか、咳が止まらなくなりそのまま吐いてしまうことも。朝、職場に来てからも何度か吐いている。
何が普通なのか分かりません。
ちょっと体調が悪いだけ。そう思っています。
休職している間も、何度も何度も希死念慮に襲われていましたが、最近またその波がきている。
生活できるだけしあわせ。なのに満たされない。物を買っても欲しかったのか必要だったのかよく分からない。
夏には減薬していくと先生に言われたのに、こんな状態でできるのか。
苦しいです。
重度抑うつ状態らしい
こんにちは、2023年1月です。
最後に更新したのが2020年みたいです。久しぶりに更新します。
3年で環境の変化諸々いろいろとありまして、タイトルのような状態になっていました。
というのも1年ほど前から心療内科に通院していて始めは薬で騙し騙し生活していたのですが、ついに過労と睡眠不足に耐えられず休職する事態に。診断書は適応障害の記載。鬱病ではないものの重度抑うつ状態だと診断を受けました。
意味が分からない。
それ以外に言葉が出てこない。
いきなり長期間の休みを与えられて、本当に何をしたらいいか分かりません。
ですが気分の落ち込みで一日中何もできない日が続いていたので、身体は限界を迎えていたみたいです。
Twitterで同じような境遇の方と繋がってみようかと思いアカウントを作るも、ネットのコミュニケーションが思っていたより窮屈でアカウントは削除。
とりあえずここに残しておけば後々見返した時に「そういえばこの時はこうだったな」と思えて良いのではないかと書き残しています。
人から言われて気がついたのですが、私はイエスマンらしいです。振られた仕事は基本断らないし残業も早朝出勤もする。ワーカーホリックとも言われました。正直ここ数年、仕事仕事で趣味に時間を割けない状態が続いていたんですよね。休日は睡眠時間に充てて、ストレス発散の機会もなく…。
それとコロナが始まってから人と会うことを制限されて、誰かに愚痴を話すことも無くなっていたので無意識のうちにストレスが溜まっていたんでしょうね。
今は鬱の薬を飲みながら1日の気分を底上げして生活しています。
薬ってすごいですね。
飲んでから24時間経つと気分が落ち込んできて薬の効果が切れ始めているのがわかります。
いろいろな記述や本を読んでいて主に脳内物質の不足だということは分かっていたのですが、それを薬で解決できるのが凄い。
同時に断薬はできるのか?という不安も。
自分の特性を考えると一生飲み続けることになるのかも知れません。
あと休み始めてから体重が増えてとんでもないことに!今まで着ていた服がパツパツになってしまいました。出かける事も辛くて、でも食欲は通常どおりあるため普通に食べていたつもりでも体重は脂肪となって付きました…。
食事制限しつつ体重を戻していきたいですね。
人から嫌われる
こんばんは。もう4月になりました。
春は出会いと別れの季節。たったひと月、ふた月でこんな経験が出来るなんて。
間違いなく気分は沈むのですが、それでも生活するためにもう少し頑張ります。
新しい環境に移動することが怖いです。人と上手くやれるか不安です。
私は人見知りなところがあるので、上っ面だけは”良く”することが出来ても本心を晒すことは中々できません。自分の中でもセーブをかけているところがあります。
人から嫌われるということ。
今まで生きてきた中で私の自覚がある”嫌われる”という経験は一度だけありました。
その人は、私のことが邪魔で、疎ましくて、厄介な人間だと思っていたでしょう。
仕事も出来ない、怯えた態度で、礼儀も知らず。嫌いでしょうがなかったでしょうね。
出来れば人間、生きていれば、嫌われるまでもなく”それなりの関係”で居たいと思います。私は明らかな態度で人から嫌われたことがあり、死ね以外の言葉も全て言われてきました。
私は言われた言葉を一切気にせず、生きることはできません。
社会を生きていく中で人との関わりは絶対ですから、言われた言葉にも自分に原因があると考えます。私は本当に、当時は自分のことをダメな人間だと思っていました。
言われていたことは正しかった。そう思っていた。怖くて仕方なかった。逆らうことが出来なかった。
今だから言えますがこの思考は完全に間違っています。
何の権利があって一人の人間の人生を脅かすのか、疑問で仕方ありません。
怒り半分、二度と会いたくないという気持ち。
そういう人からは離れた方がいいです。自分が壊れます。
私はある行為をされると、その”人”でなくても、それが当時のトラウマを呼び起こして身体が動かなくなります。
人の人生に干渉するのは、責任感のある事で、決して土足で踏み荒らしてはいけません。
かなり前に
「人類の2割はどうあがいても自分のことを嫌いな人だ」
という話を聞いたことがあります。
これを聞いてから、ある種諦めのような気持ちでいられるようになりました。
だって、自分が優しくしても何をしても嫌いな事は変わりありませんから。
人間関係の割り切りも大事ですね。
今日はここまで。
限界点
お久しぶりです。半年以上空けての更新になります。
何か文章を書こうと思っていたものの、中々まとめる勇気も出ず今回重い腰をあげてぽちぽち書き始めることに。別に書くことはありません、自己満足で始めたブログ(ひとりごと)なので。
ここ最近の近況でも書きます。
仕事は変わっていません、転職もしていません。
ですが春には異動します。今はそれを待っているのと、新しい場所での人間関係がうまくいくか不安を感じています。そしてやっぱり今の仕事は好きになれません。
ここ一年いろいろなことがありすぎて、少しずつ大人になってきたのかと実感することもしばしばあります。それでもまだまだなところもあります。
趣味に力が入らなくなってきました。
学生時代あんなに夢中になって取り組んでいたことも、今となっては何も思い浮かばない、手が動かない。カメラやイラストの作成など、新しいことに取り組んでみたもののどれも中途半端で終了しています。
継続して物事を行う動作が出来なくなっているのです。
嫌いになったわけではありません。むしろ「〇〇が好きだ」と今でも言えますが、昔ほど胸を張って言えません。それを言える資格が無いのでは、と思ってしまいます。
同級生達は夢に向かって一生懸命で、SNSを通じてなんとなくその活動を横目にして羨ましいと思うのと、妬ましいという感情が混ざり合って複雑です。
どうしてこうなってしまったんだろう、と思います。
この一年で自分以外のことでも頭を抱えるようなことが起こったり、勿論自分自身でも嫌になることはあったり、本当に毎日目まぐるしく何も起こらず過ぎて行って、同じことの繰り返しで飽き飽きしてきます。
心の中ではまだ出来る、まだ夢を目指したいという気持ちはあるものの、もう無理だろう、遅すぎる、あの時の選択を誤ったと後悔も浮かびます。
前ほどパワーが無くなっていて、その代わりに得られたものを考えた時、
それは「安定した生活」と「平凡な日常」でした。
一人で暮らしていけるだけのお金を稼げているだけ充分だと思います。
好きなものを食べて、好きなテレビを見て、自由な生活。
でも何故だか不自由だと感じてしまいます。
それはきっと贅沢な悩みだと思う反面、それでも手に入れたいと思うものがあるのだろうと考えます。両方を手に入れることはとても難しい事なのだと実感しました。
あ、あと全く関係ありませんが最近歯を磨いている時間と野菜を切っている時間が好きです(笑)
単調な作業をしながら考え事が出来る。人から言われた言葉やされたこと、記憶をゆっくりと整理できるあの時間が好きです。
ここまで書いてなんとなく気持ちの整理が出来て安心しました。
ここ数日、いや数か月考えていたことを文字にして起こすだけでもすっきりするのですね。相変わらず支離滅裂な文章ですみません。
今日はここまで。
五月病来たり。
いかがお過ごしでしょうか。
ゴールデンウィークも終わり四連勤のあと、またお休みが来ました。
今年は元号の変更や異例の十連休があったりと特別なゴールデンウィークになりました。
ゴールデンウィーク明けといえば五月病。よく耳にします。でも五月病とは具体的に何を指すのか?調べてみたところ以下のようなものだそうです。↓
「新人社員や大学の新入生や社会人などに見られる、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状の総称である。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
連休最終日に翌日の仕事のことを考えると気分が重くなりますよね…。
学生時代よりも社会人になってからこの気持ちがよく分かるようになりました。
自身としてはここ最近、会社での内部異動や家庭のことで頭を抱えることが多く、昨日今日とお休みをして疲れが一気に出てきたなあと感じています。
症状としては「身体の怠さ」「眠気」。
大体の休日は午前中に起きて昼前からなんとか行動に移そうとするのですが、今回に関してはとにかく動けない。一度目が覚めても起き上がるのが億劫で再び眠りについてしまう。気がついた時には既に夕方…など。
あと身体が怠い。とにかく怠い。何もする気になれない、ただ横になってスマホを片手にインターネットを眺めていることしか出来ない。
普段からだらけた生活をしていた自覚はありますが、今回は特に酷いです。
頭がぽやんとして考えることも出来ない。何もしたくない…。
休み明けからこんな調子で大丈夫か…と自分のことなのに心配になりますが、
頑張りすぎず頑張る、気楽に構えていこうと思います。
無理しないことも大事だと思います。まずは慣れるところから…。
贅沢な平日休みと旅行気分
いかがお過ごしでしょうか。
3月ももう後半。年度末に向けて仕事は忙しくなり、もうすでに春休みに入っている学生もいるのでしょうか。
今日は仕事を休んで出掛けた事について書きたいと思います。
なんとなく朝起きた瞬間から仕事に行くのが嫌で、でも休むのも同僚達に悪い気がして、悶々と考えながら駅までの道のりを歩いていました。
仕事から逃げたかったのか、億劫だと感じてしまい「たまにはこんな日があってもいいだろう」と思い立って自宅までの道を引き返すことにしました。
突発的に貰ったお休み。
町には人が溢れていて、スーツを着て、ビジネスバッグを持って、会社へ向かって行く人たち。
それなのに自分は引き返して帰る。罪悪感も少しありましたが、死ぬわけじゃないしここ最近の自分の精神面を考えたら少しぐらいは許されるのでは、と。
一度家に着いてからさあ何をするかと考え、途中まで見ていた映画の続きを見て、横になってだらける。
好きなものを食べて、好きなものを飲む。なんとなく買ってみたいちごオレが美味しくなかったけれど、それもまたいい。
電車に乗って終点まで行ってみようかと思い立つ頃には、羽田空港に到着していました。
スカイデッキで温かい珈琲を飲みながらぼんやりと飛んで行く飛行機を眺める。
空港で働いている人たちにも生活があって、これから飛行機に乗って行く人たちにも目的地があって、一体どこへ行くんだろうと思いながら、それを見ている自分がいて。
不思議と飛んでいく飛行機を眺めているだけでも飽きたりつまらないと感じることはなく。いろんな人の生活を見ながら物思いにふける。なんて贅沢な時間だろうか。
これは平日でしか味わえない感覚で、少しだけ幸福になった気がしました。
この気持ちは忘れてはいけないとお土産を買って今、帰りの電車でこの記事を書いています。
キャリーケースを抱えた人たちは家に着けば旅が終わるかもしれない。一瞬でもその空気感を味わって、独り占めしたいと思いながら。
少し立ち止まって考える日があるのも、たまにはいいなと思いました。春を目前にして、ゆっくりとした休日を過ごしています。
人と食事をするのが怖い、外食・会食恐怖症
年明け1回目のブログ更新になります。
今回はメンタルの話をしたいと思います。
実際に私が抱えている”恐怖症”についての話題になりますが、同じような病気で悩んでいる方にとって参考になるかはわかりません。
ただ読んで「少しでも同じ仲間がいる」「共感できる」と感じて頂ければ幸いです。
皆さんは食事をすることが好きですか。
外食をして美味しいものを食べるのは好きですか。
私は好きではありません。タイトルの「外食・会食恐怖症」も正確な名前については無く、インターネット上で調べたところ近い名前が”それ”でした。
この恐怖症を簡単に言うと
「人と食べるのが怖い」「外で食べるのが怖い」
というものです。
理解できない方が大多数だと思います。私もそう思います。
人の欲求である「食欲」を恐怖としているのですからね。
私が何故この病気になってしまったのかというと、学生時代に友人たちと食事をしていたのがきっかけでした。
その日はお腹いっぱいになるほど食べてはいないのに、
食事をしている最中噛み砕いたものがうまく喉を通らなかったのか、えずきました。
ぴたりと咀嚼する動きが止まり、口の中で食べ物が入ったまま飲みこむことも噛むことも出来ない。急いでトイレに行きすべて吐き出しました。
その後もう一度席に戻り友人に「心配ない」と言いましたが、いざ食事をしようとすると喉の奥から拒否をしているような、食べたら戻してしまうのではないかという感情が頭をよぎり、食事を続行することが出来ませんでした。
その時はただの一時的なものだと思っていたのです。ところが違いました。
別の日に家族で外食をしに出掛けた日。メニューを眺めていると途端に吐き気がしてとてもじゃないが、食事をする気にはなれませんでした。
食事をしない私を見て家族も不審な目を向けていました。
学校ではお弁当を持参していましたが、友人の視線を感じると食事が喉を通らなくなってしまい何度も残してしまいました。その度に母親に体調が悪いのかという余計な心配をさせてしまい、私自身もどうして”これ”が長期化しているのか分かりませんでした。
この不可解な病気が発症して4、5年ほど経った頃、高校生になった私は修学旅行の前日に恐怖で眠ることが出来ずにいました。
勿論修学旅行では友人たちと食事をするのは必須。今まで出来るだけ外で食事をすることを避けてきたのに、回避することが出来ない。
何度も何度も落ち着けと心の中で念じてみても緊張は収まらない、眠ることも出来ない。あまりにも重症化していると感じた私は安定剤を貰おうと病院に行きました。
ですが、メンタルクリニックは基本的に予約が必要。来て当日に診察をしてもらうことは中々できません。明日からの旅行を恐怖心を感じずに終える、ということはもはや私には”無理なこと”でした。
はじめに行ったメンタルクリニックでは受診はお断りされてしまいましたが、当日の診療も出来るという病院を紹介してもらい、私はそこを受診しました。
お話しをさせていただいた先生に「外で食事をすることが怖い」ということ
「人と一緒にいると食事が出来ない」ということ、全て伝えました。
先生は初め半信半疑なのかあまり信じていないような様子でした。
こんなに苦しいのに、もう何年もこれに苦しめられているのに、怒りの気持ちも頭によぎりましたが、仕方のないことだと。恐怖症なんて健全な人から見たら理解なんてされません。
お話しをしていく中で「あなたが落ち着くということであれば」と精神安定剤を処方していただきました。
帰り際受付の方からの「お大事にしてください」という言葉が頭から離れませんでした。
その日も授業があったので学校へ向かう電車に乗り、私は思いました。
「いつになったら、外で美味しく食事が出来るようになるんだろう」
こんなことを考えていて、悲しくなりました。
もしかしたらこのまま一生好きなものも食べられない、外で、皆と楽しんで食事をすることが出来なくなるかもしれない。ただ普通に食事がしたいのに。
修学旅行中は食事の度に安定剤を飲みました。
毎食、食事の前に飲んでいたので副作用の眠気が止まりません。移動中のバスの中でも眠ってばかりで、友人が次の目的地に着く前に起こしてくれるけれど眠くて仕方がない。移動中はずっと眠っていたように思います。
薬を飲むことで周りの友人たちと同じように”普通に”食事は出来ましたが、どこか心の中で引っかかったまま修学旅行は終わりました。
それから私は何度か病院に通い、その後の経過について先生に話をしました。
薬を飲まないで食事をしようとした時もありました。ですが、やはり恐怖と吐き気に耐えきれず安定剤を飲まないとまともに食事が出来ない。
それは私が社会人として就職する時まで続きました。
薬を飲めば食事をすることが出来る、皆と変わらない”人”でいられる。
安定剤は私にとってお守りのようなものでした。いつもポケットの中に忍ばせていました。
暫くそういった生活を続けていたところ、ふと「薬を飲まないで食事をしてみよう」と再び思うようになった時がありました。
会社で同期と食事をしているとき、食べやすい料理を食べてみる。少しずつ慣らして「今日は味噌汁まで飲めた」「お茶碗のご飯を半分食べられた」など心の中で記録をして。馬鹿なことかと思われるかもしれませんが、私にとってはとても重要な事でした。
あるとき、薬を飲まずに食堂の定食を完食することが出来る日がありました。
周りの同期は気にも留めず、食後の会話を楽しんでいる。そして私もそれに参加できている。
本当に嬉しかったです。みんなと”普通に”食事をすることが出来た。
それは、大きな成長でした。
それから徐々に慣らしを続けて、なんとか私は薬に頼らずに「外」で「人」と「食事をする」ことが出来るようになりました。
何年も何年も悩み続けて、家族にも理解されない病気を抑えることが出来たのです。
ですが、完全に治ったわけではありません。
取引先との食事や緊張する場面での会食では、”恐怖”と”吐き気”の症状は出てしまいます。その度にあの時の気持ちが頭の中に蘇ってしまう。
恐怖症というものは完全には治らないのだと思います。
また、何かをきっかけにして起こってしまうかもしれない、
そういう恐怖にも怯えないといけないのです。
ですが以前に比べると ある程度普通に食事も出来るようになり、好きなものを外でも食べられるようになったということはとても喜ばしいことでした。
今、私と同じような病気、恐怖症を持っている方、あるいは同じように恐怖症などで悩んでいる方はこのブログを読んでどのように感じましたでしょうか。
私にとってこの”恐怖”は一生ついて回るもので、逃れることは出来ないことだと感じています。
もし何かしらの恐怖症を持っている方は安定剤を飲むことで少しでも落ち着ける未来がある、ということを伝えたいです。病院に行っても理解されないのは嫌だ、ではなく、健康に、健全に生活をしていくためには必要なことだと私は思います。何も恥ずかしくなんかありません。
ただ生きていくために必要なこと。
少しでも不安に思っている気持ちが無くなるよう、この経験を通じて元気づけられれば良いなと心から思います。
あくまで一個人の経験として今回の記事を書かせていただきましたが、参考になるとも思えないので、ご意見ご感想等、思うことなどありましたらコメント欄に頂ければと思います。よろしくお願いいたします。